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『中国語への思い』
皆さん、こんにちは。
China Style池村憲治です。「月餅」「葡萄」「牛乳」「スリッパ」
何の事だか、ですよねぇ…

ここでは、私の中国語に対する思い、というものを、少し語ってみたいと思います。
池村、という人間に興味があるよ、という方は、別ページでご案内しております。

どうして、こんな人間になったか、少しでも、ご興味のある方は、ご覧くださいませ。

さて、私は、勉強、というものが嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。
いわゆる、学校での「テストのための勉強」です。

自分の興味のないことには、とんと、興味を示しませんでした。
学校のテストなんて、言わば『記憶力のテスト』ですよね。
テストが終われば、きれいさっぱり忘れてしまう、なんて、何のために覚えているのか、わかりませんでした。
00 1 中国語への思い
それが、留学と、仕事で、中国にいるときは、中国語の『勉強』が、楽しかったんです!
覚えた、その瞬間から、血となり、肉となり、自分の武器になるんです。

それが、とても、快感でした。
自分で表現したいことを、どんどん吸収できること、
それは、とても、楽しかったですね。
text 01 中国語への思い
学校で、英語は習っても、それは、やっぱり、テストが終われば忘れてしまいます。
しかし、この、中国語は、まったくもって、違うのです!

町に出るだけで中国語が覚えられる、という環境も、とても、恵まれていましたね。

実は、私は、日本にいるころ、まったく中国語を知りませんでした。
『行ったらなんとかなるだろう』
とも思っていました。

中国に渡ったのが、9月でした。
中国は、「中秋節」といい、日本で言う、中秋の満月を愛でる日が、9月にあるんです。

日本では、月見団子を食べますが、中国では『月餅』というお菓子を食べるんですね。
その月餅が、町中に売られているんです。

中国語を全く知らない私が、まず、覚えた単語…それが、『月餅』なんです。
次に、『葡萄』味の月餅が食べたかったんですね。

ですので、次に覚えたのが『葡萄』という単語なんです。
text 02 中国語への思い
00 2 中国語への思い
初めにお書きした『月餅』『葡萄』『牛乳』『スリッパ』、
中国で、私が覚えた単語の順番なんです。

「こんにちは」「ありがとう」よりも先に、こんな単語を覚えていました。
生活に即している単語を、真っ先に覚えたという感じですね。

赤ちゃんだって、まず「ママ」「パパ」から覚えますよね。
「こんにちは」「ありがとう」なんて、言いませんよね。

ちょうど、私は、赤ん坊のように、中国語を吸収した、という感じだったのでしょう。

01 中国語への思い
更に、中国での生活も、数週間目の出来事でした。
街中を歩いているときに、中国の方同士の声が、不意に耳に入りました。「ねぇ、おばちゃん、この肉まん、1セイロいくつ入ってるの?」
『8個やよ』
「1セイロいくら?」
『2元やわー』

たったこれだけの会話ですが、
私が、現地の方同士が話している言葉を聞き取れた、
記念すべき会話なんです。

このシチュエーションも、今でも、鮮明に覚えております。

『葡萄月餅』『肉まんいくら?』
この二つで、中国語って、意思疎通のツールなんだ!
テストのための勉強ではないんだ!
と、認識したんですね。

この時の感動を、少しでも、皆様に感じて頂ければと、思っているんです。text 03 中国語への思い
もちろん、ピンインも、発音も、とても大切です。
でも、それ以上に『相手に通じること』が、一番大切なんです。

発音が少々崩れていようと、文法がめちゃくちゃだろうと、
通じなければ、それは、「言葉」ではありません。

逆に、どんな手段だろうと、通じさせること、が、大切なんですよね。

留学後期には、こんなことがありました。
「いくら?」これは、中国語では「多少銭?」といいます。

街中で話している中国の方の「いくら」は、この「多少銭」の
「少」の発音が聞き取れないんですね。

で、思い切って、現地の方の真似をして「多銭」と言ってみました!
すると、すんなり通じるんです。

それ以降、私は、ずっと「多銭」と言っておりましたよ。

このように、正しく発音すること以上に、意思を通じさせることの大切さを、
痛感したんですね。
China Styleの根底には、そういう思いが流れている、ということを、
知っていただければ、幸いです。

中国と、日本の関係は、正直、少し難しいものがございます。
歴史的な問題、経済的な問題、様々な問題が山積みですよね。

しかし、人間と人間、仲良くできないわけがありません。
言葉を通じて、少しでも多くの方に、本当の中国、を、知っていただければいいな、と思います。

さらに、『言葉を学ぶ』というのではなく、
『意思を通じさせるツールを楽しむ』くらいの感覚でお越しくだされば幸いです。